今晩の日経「こころの玉手箱」コラムでTDK会長の沢辺肇氏が運転免許教習所での屈辱体験を書いて居られた。40歳を過ぎて免許証が必要になったのだが、年下の教官からぼろくそに侮辱されたのがトラウマとしていまでも残っているとのこと。そのことを思えば、教習所に行かなくてすんだ散人は幸せだった。
運転免許証は18歳の春に取った。どうしても春休み中に取りたかったのだが教習所に行く時間が無く、母親に運転を実地で教えてもらった。当時、武庫川の河川敷に廃業した運転免許教習所のコースがあったので、母親と一緒にそこに毎朝数回通って練習した。その後すぐ、明石の運転免許試験場まで電車に乗って出かけ、一回目は見事に不合格だったが、二回目に合格した。おかげで運転教習所での不愉快な体験をせずにすんだ。
女性でクルマの運転が出来るというのはまだまだ少数派だった時代である。母親は、はっきり言って運転は下手くそだったが、とても格好良かった。その母親に教えてもらったおかげで、散人のクルマの運転は教師であった母親譲りそのまま。だから、いまだに車庫入れと縦列駐車は苦手だ。でも、免許試験場ではエンストは禁物で十点引きだが、一方坂道発進での空ぶかしはいくらやっても一点引きだから壮大にやればいいとか、いろいろ対策を教えてもらったので教習所に通わず免許が取れた。
その母親も、すっかり歳をとってしまって、昨年亡くなった。散人は、運転免許を取ってからすぐ実家を離れ、以来ほとんど実家に帰らなかった。もうちょっと母親孝行をして居ればよかったと、いまだに思う。
女性でクルマの運転が出来るというのはまだまだ少数派だった時代である。母親は、はっきり言って運転は下手くそだったが、とても格好良かった。その母親に教えてもらったおかげで、散人のクルマの運転は教師であった母親譲りそのまま。だから、いまだに車庫入れと縦列駐車は苦手だ。でも、免許試験場ではエンストは禁物で十点引きだが、一方坂道発進での空ぶかしはいくらやっても一点引きだから壮大にやればいいとか、いろいろ対策を教えてもらったので教習所に通わず免許が取れた。
その母親も、すっかり歳をとってしまって、昨年亡くなった。散人は、運転免許を取ってからすぐ実家を離れ、以来ほとんど実家に帰らなかった。もうちょっと母親孝行をして居ればよかったと、いまだに思う。
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